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12.写真の新しい世紀に向けて。

今月の名作
自著
『藝術写真捏造博覧会』情報センター出版局
1995年3月28日刊行

 

2000年という一年。


 表紙の顔は私自身じゃないかと、よく言われるのですが、私ではありません。あしからず。本文を読めば分かります。それから、本文中に掲載している男性のヌード写真も私だという疑われていますが、これも違います。
 あーあ。とうとう今世紀も終わりです。

 歳をとればとるほど一年が速く過ぎていくとは、よく言われることですが、これは本当ですね。40歳を目前に控え、しみじみ思います。20歳頃の計画としては、もう少しまともな大人になっていたはずなのですが、ちょっと情けない状態です。しかし、おかしなもので、読む本の種類は確かに変わってきて、流行の先端をいく新しい本にはほとんど興味が沸かなくなっているのでした。このところ、明治・大正時代の小説などを図書館から借りてきて読むと、なんとなく心が落ち着いたりして、これこそが歳とることの愉快といえば愉快。

 ただ、逆に、昔の人の教養の深さとは恐るべきものでして、我が身を省みると本当にお恥ずかしい限り。もっともっと勉強しないとなぁ、と一時の反省はするものの日が暮れてくると同時に赤提灯に吸いよせられてしまうのですねぇ。問題を問題として捕らえながらも、ただひたすらに解決を先送りしているだけの人生です。

 ま、それも一興か。

 なんだか、去年の暮れにも同じようなことを書いたような気がします。

 こうしたわけで今年も、本当に速く、一年が過ぎ去りました。3月には鈴木 清さんが急逝され、7月には植田正治さんが長逝されました。他にも多くの大切な人を失いました。とりわけ、鈴木さんは写真学校での恩師であり、昨年の暮れに入院されていた氏を見舞った数カ月後の出来事でしたので、心のやり場にずいぶん困りました。自宅からスタジオに自転車で通う、いわば通勤路の途中にその病院があって、たしか5階の病室から富士山が見えることを話して下さった姿を、そこを通る度に思い返すのです。

 そして、私にとって決定的だと思えることの一つが、この連載の始めにも、氏の名前を挙げているという事実なのでした。もしや、写真家としての氏のあり方を曲解していたのではないかと考えると、自分の軽薄さに寒けを覚えます。さらにいうなら、5年前に出版することのできた『藝術写真捏造博覧会』には、鈴木さんと植田さん、両氏の作品と作家活動を取り上げている事実もまた、私の気持ちを暗澹とさせるのでした。

 ですから、本連載の最終回である今回は、名作鑑賞の手引きなどどいうものではなしに、まさに駄作鑑賞の手引きといったものとなるはずです。ただし、この著作は、他の誰でもない私にとってみれば、他の何にも変えがたい今世紀最大の記念碑でもあるのです。

出版まで。

 鈴木さんを主題にしたページの始め。ジャカルタを撮影した氏の作品をお手本として、私はニューカレドニアで撮影した写真を掲載したのでした。氏の作家活動を「道楽」と譬えたのは、私なりの賛辞ではあったのですが、鈴木さんはどことなく残念そうな顔をしたことを覚えています。言葉で反論することは一切ありませんでした。
 この本の内容をかい摘んでいうなら、24枚の有名な写真作品をとりあげ、それらを真似てみることによって、その作品の存在理由を調べてみようとするものです。ただ、題名にある「捏造」の語感から察せられるよう、パロディや悪ふざけにしか見えない部分もふんだんにあります。初出は日本カメラ誌で、1992年の連載『写真マニアの密かな愉しみ』、翌年の『私家版藝術写真とそのマニュアル』。考えてみれば、執筆は1991年の暮れに始めているわけですから、足掛け10年。歳もとるはずです。

 ともあれ、連載中は、身辺の写真家たちには絶大なる(?)人気があった反面、一部の読者からは強い非難の声もあったりで、ものを書く側からすれば、とてもよい緊張感のなかで仕事ができました。本誌読者とは一切関係ないと前置きしておきますが、本当にいろんな読者がいることをここで始めて知りました。聞いただけの話も含めいくつかを紹介してみましょう。

 雑誌の写真コンテストに入賞した作品に、自分が写っていることを知り、わざわざ関西方面から上京。勝手に掲載したのは許せないとして、出版社に金品を要求した人がいます。まあ、気持ちはわからないでもありませんが、写真関係の出版社なんて、本当にお金がありませんからね。骨折り損になることは請け合います。

 それから、よくある水着撮影会などで、何を勘違いしたのか、局部だけを撮影しているような人が時折いますね。それを少し揶揄したような記事を掲載したところ、「これほどくだらない記事は今まで見たこともない、雑誌を返却する」と記し、封筒には1円切手だけを貼って編集部に送りつけた人もいました。これまた、気持ちを察するに余りあるのですが、抗議をする行為によって他ならぬ自分自身の非を認めてしまっているわけですから、物笑いの種にしかなりませんですね。

 とかなんとか、これ以上書くと、読者のお叱りを頂戴致しかねませんから、矛先を変えましょう。どこに矛を向けるかというと、有名写真家の側です。

 鈴木さんのプロフィールのページ。ここに掲載するのは、2刷り目を期待して(!)校正しなおしている私の一冊です。
 連載を掲載している間は、特に写真家の了解を得ませんでした。というのも、たかだか1カ月単位で消費されるのが月刊誌の宿命で、しかも多少軽はずみな書き方が散見しているにしても、基調としてはそれぞれの作家への私なりの愛の表現であったからです。  ところが、単行本ではそういうわけにもいかないという編集者の意向により、日本人作家についてはすべて了解を得ることにしました。海外の作家を除外したのは、著作権問題についてとかくうるさい海外作家の場合、まず許可がおりないだろうこと。さらに、「どうせ極東の島(!)で出版する本だから、問題ありませんよ」と、こうした問題に詳しいギャラリストから、心強い(?)お言葉を頂いたからです。グローバル化した現代にあっては、本当はいけないことなんですけれど。

 でも、面白いのが、国内作家と一口に言っても、これまたいろんな人がいるのでした。法外な(と思うのは私だけですが)お金を要求する人。面白い企画だから、どんどん使っていいよという人。自分もパロディ精神は好きだが、先の雑誌掲載の時に許可を得ず、今になって了解をとるのはどういう了見か、と結構痛いところを突いてくる人。掲載するのは結構だが、作品発表後の責任は全てこちらがとることを要求する人・・などなど。

 いやあ、十人十色とはよくいったものです。とは今になって言えるのですが、当時の感情の起伏はかなりなものではありました。  初版8000部。知人の多くの評価は「そりゃ、大きくでたね」で、事実、出版後5年以上を過ぎた現時点でもまだ在庫はたんまり(?)あるようです。売れませんでしたねぇ。とは他人事のようですが、出版社ならびに、連載を見て単行本化を進めてくれた編集者には大迷惑をかけてしまったことになります。本当は売れるはずだったのですけどねぇ。印税で、家の一軒も建てていたはずなんですけどねぇ。

得たものと失ったもの。

 植田さんのページのタイトルは、バッハの「音楽の捧げ物」からのもじりです。その名のとおり、氏ほど、幸福に写真を愛し続けることができた人を私は知りません。本当はどうだったのか? それはわかりませんが、嘘でもいいから、私はそう信じ続けるつもりです。
 ともあれ、売れる売れないという話は別にして、連載中、そして単行本化するにあたって、芸術写真のあれやこれやについてずいぶん考えを巡らしました。芸術写真というだけでなく、写真作家の個人的事情にもあるていど踏み込みました。そうすることで、芸術写真が芸術写真たる所以や、写真作家が写真作家たる理由の一部分は、確かな手触りをもって理解できたような気がします。そして、多くの読者とそれを共有できたことも、アンケート葉書などから窺い知ることができました。

 しかし反面、芸術や作家を「理解」してしまったような気分からくる、不感症的な麻痺状態に陥ってしまったことも確かだろうと、これまた今にして思うのです。端的な話、この本を仕上げるのと同時期に、私は芸術写真家志願から写真師志願へと衣替えすることになったのでした。そして7年。いい気な写真師志願は、その夢をほとんど達成することなく、ただただ現状に疑問を抱き続けているだけなのでした。

 単純なことなのかもしれません。

 植田さんのプロフィールのページ。メモがわりとはいえ、こういう記事を記入するのは、やはり抵抗があります。
 真似ることで学び、学んだ内容を実践する。それは確かに実のある行為ではありましょう。しかし、ここに欠けている最大は、私という個人が本音で生きていることの証なんですね。作品に魂を打ち込むことができるのは、技術や知識などでは決してありえずに、我を担保することのできる強い個性でしかありません。偽は所詮、偽でしかありえないのでした。

 結果として人と同じになったとしても、それはそれ。常に自分だけがオリジナルだと確信し続けること。それは反面、恐ろしく愚かな暴挙に他ならないのですが、先人の偉業から一歩前に足を踏み出すためには、なくてはならない確信なのです。

 ただ愚かになることは、簡単です。しかし、愚かさをそれと知りつつ演じ続けることこそが、芸術家の特権であり義務ではなかったでしょうか。鈴木さんと植田さん、そしてこの書物でとりあげた他の22人の写真作家たちの仕事を、今一度省みながら思いは至るのでした。いやいや、もしかすると、鈴木さんや植田さんは「お前なぁ、勘違いせんどいてぇなぁ」とあの世でお思いになられているのでしょうか。もしそうだとするなら、私は「勘違いには勘違いなりの生き方がある」と言って退けたい。

 時代は、誰の目にも明らかなように、明快な変化を要求しています。写真もまた、銀塩からデジタルへという大きな波があり、趣味や実用としての写真の利用の仕方も確かに変わってきているのです。たかだか10年前と現在を比較してみても、それは明らかでしょう。だがしかし、本当に将来何が起こるのかは誰一人として予見できないのですね。だからこそ、人生やお金を掛ける余地があることは確かです。もしかすると、読者の中の誰かが大勝負に出て、何年か後の写真の新時代を築くことになるやもしれません。そんなことを期待しながら、今世紀最後の原稿の締めといたしましょう。

 では、読者のよりよき新世紀を祈りつつ、除夜の鐘でも待ちましょうか。