年始から11回に渡って、写真表現をいろいろな角度から見てきました。写真表現は難しいと思い悩んでいる人には、「なんだ簡単じゃないか」と目から鱗を落として頂ければこれ幸い。写真表現に行き詰まりを感じている人には、「何かできるかもしれない」と新たな旅立ちへの動機の一つにでもなれば、もう他に述べることはありません。後は、皆さんがご自分の足で歩いて行かれれば、それでよいのです。
最終回である今回は、私自身の歩みを振り返りながら、写真表現を長きに渡って続けることの意味を考えてみたいと思います。もっとも、それほど大それたものではありませんが。
読者の皆さんと私を隔てる深い溝があるとすれば、アマチュアとプロの違いということになるのでしょうか。しかし、正直なところ、アマチュアと呼ばれる人たちの中には、一端のプロよりも写真に関する知識も多く、技術に優れた人が少なくありません。逆に、プロと呼ばれる人の中には、写真の知識も少なく、技術も下手だと思える人が意外に多かったりします。
不思議に思われるかもしれませんが、これが普通なのです。なぜかというと、プロは自分の立場において人を納得させたり感動させたりする写真が撮れれば、それでよいからです。これに対してアマチュアは自由な立場で何にでも首を突っ込むことができますから、特殊とも思える専門領域で意外な活躍を見せることがあります。というよりも、考えてみれば、これは逆も真ですね。ですから実は、プロとアマチュアの境というのはあまり明確なものではなくて、自分がそう思っているかどうかの違いしかないのかもしれません。
私は、プロになりきれないプロ、アマチュアにも徹しきれないアマチュアといったところでしょうか。何事もいい加減な方ですから、このくらいでちょうどいいのかもしれません。でも、一昔前はアマチュアに重心が掛かっていたのが、今はプロに重心が掛かっています。これは確かです。この間に起こったこと、考えたこと、撮った写真のことなどを少しお話しましょう。 阿波踊りのこと。
今から15年前、写真を趣味で始めて4年目の出来事です。会社員になった年の夏に阿波踊りを撮りに出掛けたのでした。
趣味で写真を撮るといっても、身の回りには撮りたいものなんてないんですね。写真コンテストの入賞作を見ると、どれもこれもが凄い場所、驚くようなシーン、途轍もない美人といった具合に見えてしまいますから、なおのこと身の回りには関心がなくなります。そんなわけですから、名場面を撮るためにどこかに出掛けるしかない。でも、どこに行けばよいかさえ判りませんから、もうこれはお決まりのコースで観光地やお祭りになるわけです。
お祭りがいいのは、参加者皆が写真に撮られることを意識しているというか、ある種の無礼講みたく写真を自由に撮れる雰囲気があることです。しかし、本当の無礼講というわけではありません。撮ってよいところとそうでないところがあります。ここに祭りの写真の難しさがあるのかもしれません。
ともあれ、阿波踊り。皆さんご存じの通り、踊りまくりのお祭りです。よくテレビで紹介されているのは、演舞場という踊りを競うチャンとした場所なんですが、この裏では何をやっているかというと、飲んだくれの若い連中がほとんど無政府状態で踊りまくっていたりするのです。
「オッ、これだ!」と思って写真に撮ったのでした。すると驚くかな、誰かが酒を勧めてくれたのです。踊りの輪に割り込んで連写すると、もっともっと飲めや飲めやで、大酒飲みの私はついうっかり飲んでしまう。いい加減できあがってしまった頃には、20本は準備していたフィルムを使い切っていました。
しかし、タダ酒の味をしめた酔っぱらいは、考えることが一味違います。フィルムの入っていないカメラで、写真を撮る振りをすればいいことを発明したのです。彼らは、写真に撮られているというだけで盛り上がる。私は酒が飲める。ここまでくるともう写真の仕上がりなんてどうでもよくなっています。
ところが、これが翌年のアサヒカメラに2ページ載った。いけませんね。才能があるんじゃないか、なんてつい自惚れて。挙げ句の果てが、今の私です。
会社員を辞めて、写真学校に入りました。徹底的にスナップ写真をやらされました。身内でなく他人のスナップを撮るのに必要なのは、とにかく度胸です。特に、被写体に近づいて撮ろうとすればするほど、精神的な強さ(鈍感さ)が必要になります。ある一線を超えると、被写体に殴られたり、カメラやフィルムを奪われたりすることもありますから、肉体的な強さも必要になります。
思い返せば、こうした「強さ」が競われていた時代もあったようです。が、当然のことながら、これを仕事(ライフワークという意味でも)にできるとは、私には思えませんでした。さらに、学内ではこうしたスナップ作品が高く評価されたとしても、社会的にはほとんど評価されない現実も少しずつ見え始めていたのです。このままでは、どうしようもないかもしれない。そんな不安を漠然と感じ始めていました。
4×5カメラを使ってみたくて、学校で機材を借り、近所の多摩川に出掛けたのでした。
川べりに10人くらいのグループが休んでいるのを見て、ふと思ったのです。この頃、私はニコラス・ニクソンというアメリカ人作家(8×10カメラで人物の写真を撮っている)にぞっこんで、なんとかああいうのを撮りたいと思っていた矢先でした。彼らに頼んで、それぞれにポーズをとって貰えば簡単に撮影できると直観したのでした。今度はシラフの発明です。実際に頼み込んでみたところ、これは意外なほど愉快に事が運びました。この方法なら、いかなる名シーンでも楽勝ペースで撮れるぞ! 仕上がりを見た時、それは信念になっていました。
そんなわけで、この方法で撮影した一連の写真で、卒業写真展の優秀賞を頂きました(もっとも、この賞を貰うと出世はできないというジンクスがあるのですが)。さらには社会に出てからも、この方法でバンバン金を稼いで、有名作家への道を駆け登るつもりでした。
が、もちろん世の中そんなに甘くはありません。でも、いろいろな国に行ってこの方法で撮影してみたい、といつか夢に見るようになったのです。もちろん、自分のお金で撮影旅行を楽しむ余裕なんてありませんから、仕事のついでを利用するわけです。つまり、仕事には必要のない4×5カメラを必ず持っていき、時間を見つけては作品撮影をしていました。そのせいかどうか、そのうち海外に出掛ける仕事はさっぱり来なくなりました。バブル景気も弾け、予算上の都合もあり、何より十数時間も飛行機に乗るのは疲れるという口実で、世界巡りは中断したままになっています。
世界への夢は弾けましたが、やることはありました。演出というのは「方法」でしかありません。次は写真に「主題」を持ち込んでみようと思っていたのです。しかしながら、これはもとより本末が転倒しています。正しくは主題があって、そのために方法があるのです。方法が先にあって、そこに主題を埋め込むような方法(!)は、悪い言葉を使えば嘘になります。
でも、嘘でもよいと思いました。
当時、全国的にも名を馳せていた渋谷のチーマー、そしてこれは近所の人しかしらない綱島温泉に集う老人たちを撮りました。「主題」は何か? いや、照れくさくて言えません。すみません。
で、これでとにかく写真展をやってみて、強く感じました。「何も起こらないじゃないか! 何をやっているんだ俺は!」と。もちろん、一部の人には受けが良かったことは確かです。被写体になってくれた人の幾人かは、とても喜んでくれました。これらの写真は今でも好きです。でも、それだけじゃ詰まらない。何と言うか、関係の無い人々を巻き込んでいくようなワクワクする思いがちっともないんです。これでは面白いはずがありません。
「写真道場」の設立へ。
とにかく面白くありませんから、何かを始めなければなりません。で、思いついたのが「写真館」。それも普通の写真館では撮らないような写真を撮る写真館を始めることにしたのです。どんな写真館なんでしょう、いったい。それは私にも判らない。なんとなく思い描いてはいるのですが、なにぶん自分勝手にできないのが商売の面白さです。名前は「写真道場」にしました。これは誤解を大きくしたようです。写真を教えていると思っている人が、未だに問い合わせてきます。設立してもう5年にもなるのに。
心の奥底には、写真にある芸術だとか伝統だとかいった特別なベールを棄てて、気軽に遊び楽しめる環境作りから始めたいという思いがあってのことです。でもまあ、これは未だ海のものとも山のものとも定かならぬシロモノでしかありません。
なんだか、運のいい自慢話になってしまいました。本当は、そんなんじゃないんですけどね。でもまあ、いろいろなことがあったなぁとしみじみ思い出します。考えようによっては、写真を通して多くの人に出会い、写真を通してさまざまなことを学び、写真を通して生きてこられたのですから、やはり運が良かったといっていいのでしょう。 先のことは分かりません。だから面白いのです。とはいえ、この連載は自分で企画したものであるにも関わらず、苦労の連続でした。金輪際、こんなのはやりたくないと思えるくらいです。そんなわけで、こうした理屈をこね回すようなことはしばらくお休みにして、再び写真表現なるものを始めてみようかなと思っています。果て、いかなることになりますやら・・。 それにしても掲載するしないに関わらず読者の作品からは、多くのことを教えられました。ありがとうございました。
最終回である今回は、私自身の歩みを振り返りながら、写真表現を長きに渡って続けることの意味を考えてみたいと思います。もっとも、それほど大それたものではありませんが。
アマチュアとプロと。
読者の皆さんと私を隔てる深い溝があるとすれば、アマチュアとプロの違いということになるのでしょうか。しかし、正直なところ、アマチュアと呼ばれる人たちの中には、一端のプロよりも写真に関する知識も多く、技術に優れた人が少なくありません。逆に、プロと呼ばれる人の中には、写真の知識も少なく、技術も下手だと思える人が意外に多かったりします。
不思議に思われるかもしれませんが、これが普通なのです。なぜかというと、プロは自分の立場において人を納得させたり感動させたりする写真が撮れれば、それでよいからです。これに対してアマチュアは自由な立場で何にでも首を突っ込むことができますから、特殊とも思える専門領域で意外な活躍を見せることがあります。というよりも、考えてみれば、これは逆も真ですね。ですから実は、プロとアマチュアの境というのはあまり明確なものではなくて、自分がそう思っているかどうかの違いしかないのかもしれません。
私は、プロになりきれないプロ、アマチュアにも徹しきれないアマチュアといったところでしょうか。何事もいい加減な方ですから、このくらいでちょうどいいのかもしれません。でも、一昔前はアマチュアに重心が掛かっていたのが、今はプロに重心が掛かっています。これは確かです。この間に起こったこと、考えたこと、撮った写真のことなどを少しお話しましょう。 阿波踊りのこと。
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写真①「俺たちの祭り」(82年) 私の人生に狂いを生じさせた写真です。アサヒカメラ(83年)に掲載されたのがが嬉しくて、この年の阿波踊りに合わせて現場で写真展をやったのです。誰にも無許可でガードレールにパネル貼りの写真を展示しました。1時間ほど経った時、警察に呼び出され説教をされた挙げく、あえなく展示は撤去。後から思えば、いい経験です。写真展の名を「誤論無用・展」としたのは皮肉だったか。 A/掲載誌 B/写真展のようす。 |
趣味で写真を撮るといっても、身の回りには撮りたいものなんてないんですね。写真コンテストの入賞作を見ると、どれもこれもが凄い場所、驚くようなシーン、途轍もない美人といった具合に見えてしまいますから、なおのこと身の回りには関心がなくなります。そんなわけですから、名場面を撮るためにどこかに出掛けるしかない。でも、どこに行けばよいかさえ判りませんから、もうこれはお決まりのコースで観光地やお祭りになるわけです。
お祭りがいいのは、参加者皆が写真に撮られることを意識しているというか、ある種の無礼講みたく写真を自由に撮れる雰囲気があることです。しかし、本当の無礼講というわけではありません。撮ってよいところとそうでないところがあります。ここに祭りの写真の難しさがあるのかもしれません。
ともあれ、阿波踊り。皆さんご存じの通り、踊りまくりのお祭りです。よくテレビで紹介されているのは、演舞場という踊りを競うチャンとした場所なんですが、この裏では何をやっているかというと、飲んだくれの若い連中がほとんど無政府状態で踊りまくっていたりするのです。
「オッ、これだ!」と思って写真に撮ったのでした。すると驚くかな、誰かが酒を勧めてくれたのです。踊りの輪に割り込んで連写すると、もっともっと飲めや飲めやで、大酒飲みの私はついうっかり飲んでしまう。いい加減できあがってしまった頃には、20本は準備していたフィルムを使い切っていました。
しかし、タダ酒の味をしめた酔っぱらいは、考えることが一味違います。フィルムの入っていないカメラで、写真を撮る振りをすればいいことを発明したのです。彼らは、写真に撮られているというだけで盛り上がる。私は酒が飲める。ここまでくるともう写真の仕上がりなんてどうでもよくなっています。
ところが、これが翌年のアサヒカメラに2ページ載った。いけませんね。才能があるんじゃないか、なんてつい自惚れて。挙げ句の果てが、今の私です。
スナップ写真のこと。
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写真②「1984年・夏」 写真学校の夏休みの宿題。毎日写真を撮り、一日一枚で31枚の写真集を作る。物分かりの悪い私は、自分の好きな写真だけで作ったのでした。今にして見直すと、画面構成なんか抜群です。と、自画自賛しています。それでも、写真を自分の手でまとめるという作業はとても大切なことだと思います。まとめることで写真が散逸せずに、長く保つことができます。逆に言えば、捨てられない、ということ。 A/西条市・加茂川 B/石槌山 |
思い返せば、こうした「強さ」が競われていた時代もあったようです。が、当然のことながら、これを仕事(ライフワークという意味でも)にできるとは、私には思えませんでした。さらに、学内ではこうしたスナップ作品が高く評価されたとしても、社会的にはほとんど評価されない現実も少しずつ見え始めていたのです。このままでは、どうしようもないかもしれない。そんな不安を漠然と感じ始めていました。
演出写真のこと。
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写真③「卒業制作」(85年)
4×5カメラで撮影した演出写真。これを作り上げた頃は写真は何でも作れるという気分になっていて、写真学校時代のネガのほとんどを捨ててしまいました。田舎に送っていた一部が残っているだけで、これは本当に馬鹿なことをしたと悔いているのです。少なくとも自分が死ぬ一歩手前までは、自分の写真は手元に置いておきたいと今は思っています。Bの右後方にいるのが私。エアレリーズを使っています。 A/渋谷 B/原宿 C/多摩川 |
写真の主題について。
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写真④「EXSAMPLS」(89~90年) 何に憧れていたかというと、海外で活躍する芸術写真家。バブル経済の影響は、私のような貧乏写真家にまで押し寄せていたのです。指折り数えられるくらいの国にしか行っていませんが、最後の頃にはこう思うようになりました。どこの国にも同じような人がいて、同じようなことを考えている。長く住めば、住みにくさはきっと同じだろうと。これではまるで『草枕』の受け売りですね。 A/ヌメア・ニューカレドニア B/バリ島・インドネシア C/ニューヨーク・アメリカ |
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写真⑤「東京パラダイス」(92年) いわゆる写真表現に休止符を打つことになった写真展から4枚。連載中に、写真は気軽に選べばいいなどと書きましたが、やっぱり選ぶのは難しいですね。写真展には、写真展でなければ見せられない何かがあるような気もします。けれど、名も知れぬ写真家の写真展などには、普通の人は行かないのが現実。皆、忙しいのです。かくいう私も、あまり写真展には行かないクチ。これではどうしようもありません。 AB/渋谷 CD/綱島温泉 |
連載の終わりに。
なんだか、運のいい自慢話になってしまいました。本当は、そんなんじゃないんですけどね。でもまあ、いろいろなことがあったなぁとしみじみ思い出します。考えようによっては、写真を通して多くの人に出会い、写真を通してさまざまなことを学び、写真を通して生きてこられたのですから、やはり運が良かったといっていいのでしょう。 先のことは分かりません。だから面白いのです。とはいえ、この連載は自分で企画したものであるにも関わらず、苦労の連続でした。金輪際、こんなのはやりたくないと思えるくらいです。そんなわけで、こうした理屈をこね回すようなことはしばらくお休みにして、再び写真表現なるものを始めてみようかなと思っています。果て、いかなることになりますやら・・。 それにしても掲載するしないに関わらず読者の作品からは、多くのことを教えられました。ありがとうございました。










