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12.「送る」写真。

 いよいよ師走、年賀状の季節です。もう十数年も会わずにいて、電話や手紙のやりとりさえないのに、年賀状だけはちゃんと出したり、あるいは向こうから届いたりする。そうした年賀状だけの付き合いがあります。二十歳の頃、こうした人間関係は鬱陶しいだけだと考えていたのですが、最近になって、これが不思議と許せるというか、まあ、こんなのもありかな、と思えるようになってきました。歳のせいかしらん。面白いものです。

 しかしそうはいっても、工夫のある年賀状とありきたりな年賀状では、やはり印象が違いますね。中には、葉書というより、投げやりをそのまま送っているようなのがあったりして、きっと私のがそうに違いないのですが、今回は年賀状のあれやこれやです。

苦い思い出。


中の写真撮影およびポストカード用の複写も駅前写真館製です。この結婚式は無論、式場です。
 年賀状を始めて書いたのは、確か小学校の3年生頃だったと思います。そもそもこの頃の知り合いといえば、近所の同級生くらいなものですから、手紙や葉書の必要性など全くないのです。直接会えない人は、もはやこの世の人ではないといった世界観の中に生息しているわけですから、仕方ありません。

 こんな薄情を画にして額に入れたような子供が、いきなり年賀状を出す。それも数十枚も一度に投函するというのですから、それはそれなりに気合が入っていました。少なくとも年賀状を手にするまでは、素敵な画か版画を下地にして、挨拶文は鉛筆で下書きをした上にボールペンで清書して、消しゴムでちゃんと鉛筆の後を綺麗に消してなどと、とにかく面倒くさい、決して自分ではやれそうもないことを考えていたはずです。

 しかし、ごくごく当たり前の帰結ではありますが、年末もとうとう押し迫って、大晦日の前日くらいに慌てて画を描き、自分の目で見ても汚ならしい文字で挨拶を書き、これまた読めそうもない宛名を書いて、とにかくは忘れてしまいたい一心で投函したのでした。

 返信は思ったほどありませんでした。いや、これは画や文字が汚かったからだけではないのです。翌年、新学期が始まった後で数人の友人が教えてくれたところによれば、私の年賀状には、差出人の名も住所も書かれていなかったのだそうです。ですから、こういう私の性格を見抜いている友人以外には、誰が送ったのかさえ判らない不気味な年賀状だったわけです。  しかしこれを子供の頃の思い出話と片づけることもできませんで、今でも同様の失敗を繰り返しています。三つ子の魂、百まで。これは、私にとって恐怖の諺です。

判る人には判る? 

連載の初回にも紹介したカップルの結婚しました状。無茶苦茶なイメージに、二人の愉快さが滲み出てるでしょ。
 そういえば、随分前のことですが、大阪のテレビ局の深夜番組を見ていた時のことです。そこで、視聴者参加型の企画が行われたのでした。収録スタジオにヌードモデルが登場し、10分ほど彼女がポーズをとっている間に、その画を描いてFAXでテレビ局に送るのです。そうして送った画は、番組の中での公開審査によって優秀作が選ばれ、その作者には素敵な景品がプレゼントされる、といった内容でした。

 馬鹿馬鹿しくも可笑しな企画で、よくまあ、こんなくだらないことを考えるものだと関心しながら、つい、紙と筆を引っぱり出してきて、サラサラと全く似ても似つかぬヌードを描きました。

 しかし問題はここからで、同じようなことを考える視聴者は意外に多いんですね。何度ダイヤルしても一向に接続されません。そうこうする内に締切の時刻がどんどん迫ってきます。冗談にしても折角描いたのですから、それが送れないのは癪に触ります。イライラしながら四五十回はリダイヤルボタンを押し続けたでしょうか。なんとか時間内に送ることができました。  そして送った直後に、こう思いました。こんなことにムキになってしまって情け無い。回線がつながらなかったのは、送るのをやめろという神の思し召しだったのかもしれない。やめときゃよかった・・。

文字や住所はお客さんの作。「手書き」の味わいを大切にしたく、強要してさえ自らの手で書いてもらっています。
 ただ、番組の中で紹介されているFAXの量を見て、少し安心しました。100枚や200枚はゆうにあります。これなら、どの画が誰のかなんて決して判りはしないはずです。だが、私の画はいったいどこにあるのだろうか? ちゃんと写して貰えるのだろうか?

 すでに番組は優秀賞候補を数点選んだ後で、悲しきかな私の画はその中にはありません。ですから、スタジオの後方にある大きなボードの一面に貼られた数々の画をつぶさにチェックしてみるのでした。

 面白いことに、自分で描いた画とは不思議なもので、自分の目にだけは、たくさんの画の中から浮かび上がってくるのですね。とはいえ、カメラはカメラで移動しながら撮影していますから、私の画が写ったのはほんの一瞬。あっ、あったあったと思った直後には、画面の外。でも、嬉しかったりするのですね。何なんですかね。この感情は。

 さてはて、こうした次第で、この画の一件は私の胸の内だけに秘めることにしました。だって、人に言うのも恥ずかしいというか、あまり面白くもない話のように思えたからです。  ところがなんです。それから一月ほど経って、私自身忘れかけていたところに、岡山にいる友人から電話が入ったのでした。開口一番、「お前、あの番組にヌードを描いて送っとったやろ!」

「えっ、何で知っとん?」と聞けば、

「お前の画はスグに判る!」

 それほど個性的な画ではないはずですが、性格を熟知されている親しい友人というのも、痛し痒しといったところです。

年賀状の歴史。


現行の1円切手に残る前島密翁の肖像。記念切手にも何度も登場しています。
 寄り道が長くなってしまいました。話題は年賀状です。

 最近というか、ここ10年来、写真付きの年賀状が非常に多くなってきました。私が写真に興味をもった15年ほど前は、モノクロ印画紙の裏面に郵便番号や切手のスペースだけが印刷されたものを使って自分でプリントするタイプか、あるいはサービスサイズのカラープリントを葉書に貼り付けるものくらいしかありませんでした。そうでなければ、普通の写真を適当にカットするなどして葉書替わりにしていたのです。それが、あれよあれよという間に、猫も杓子も写真付きポストカードの時代になりました。

 聞けば、現在主流の写真付きポストカードのサービスは、昭和61年に始めて発行された「かもめーる」から開始されたそうです。年賀状ではないのが意外なんですが、今年で14年目になります。もっと昔からあったような気もしますが、これ以前は、先のような方法で送るのが普通だったのです。時代の変化には、改めて驚きます。

前島密『郵便創業談』のトビラ。図書館の書架から出してもらいました。
 では、年賀状というのは、いったい何時始まったのでしょうか。ちょっと調べてみました。  そもそも郵便が日本に登場したのは、明治に入ってからのことで、無論、それ以前は飛脚だったわけです。ちなみに「郵便」を直訳すると「しゅくばのたより」になります。この頃の笑い話を、郵便の祖である前島密の『郵便創業談』より二つ。

 当時のポストは、黒い柱のような形をしたもので、白字で郵便函と記され、信書を入れるところには差入口と書かれていました。これを見たある紳士、漢字の読みが今一つであったらしく、郵の字の遍が垂であることから、郵便を「タレベン」と読み、郵便ポストを雪隠と勘違い。それにしても差入口が余りに小さく(!?)、しかも甚だ高すぎるので、普通の日本人の用には適しないとつぶやいたとか。

 もう一つ。

話題のポスト。逓信総合博物館にあるレプリカは高さ150センチほどでした。
 明治4年の末、郵便路線を長崎まで通じるために長門、周防、安芸の地方に局員を派遣したところ、ちょうどこの地方は、当時最先端の電信線が架設されている真っ最中。ところがこの地では、電信線には未婚の女子の生血をしぼりとって用いると信じられており、すこぶる不穏の様相を呈し、こうした世情のために、郵便の路線拡張さえ思うように捗らなかっのだたそうです。

 話を戻します。

 郵便葉書が登場したのは、明治6年12月です。しかし、この頃の葉書は現在のような厚紙ではなくて、かなり薄手のしかもかなり縦長の、二つ折りのものです。当時の日本には適当な厚さの紙がなかったのでやむを得なかったそうですが、破れ易かったり、書き損じた人が切手の部分を切り取って他の紙に貼って代用したりなど、トラブル続出だったといいます。

 そうこうしながらも郵便葉書は次第に普及し、明治30年頃になると正月の郵便はポストに入りきらない。郵便局では徹夜をしてもさばききれない。到着印さえ押せないといった激烈な状況になります。そこで明治32年の12月から指定局に限り、年賀状郵便物の特別取扱を開始。12月20日から30日までに受け付け、元日の日付印を押して届ける制度が始まります。

これは奥さんの文字。いいですね。写真の配置なども、相談しながら決めていきます。それも楽しいところ。
 もちろん当時は、現在のようなお年玉付き年賀葉書ではありません。年賀切手が登場するのは、昭和10年です。ところが、妙なことに年賀の特別取扱制度は昭和12年にいったん廃止されます。戦争のせいでしょうか?

 お年玉付き年賀葉書の発行は、現在の郵政省が発足した昭和24年が始めで、同時に年賀特別郵便制度も確立します。この第1回目の景品は、特等が高級ミシン、1等は純毛洋服生地(!)。以下、学童用本皮グローブ、学童用洋傘、葉書入れ手箱、便箋封筒組合せ、と続き、6等が記念切手。興味深いことに、最も人気を集めたのは、お金では買えない6等の記念切手だったとか。この年の年賀扱いの郵便物は、約2億5千万通に昇っています。

 現在のお年玉付き年賀葉書の発行枚数は40億を越えているといいますから、考えようによっては寒気がしますね。

40億分の1の「気持ち」。


駅前写真館の向かいにある居酒屋にお願いしてロケを敢行。額入りの賀正の文字は旦那が書いたものです。
 高専生だった頃、毎年、とてつもなく凝った年賀状を出す友人がいて、彼に言わせると、だいたい正月には来年の年賀状の構想を練り始めるのだそうです。そして、秋の声を聞く頃には下書きを始め、年賀状の発売の前には版木などの準備は終えておくのだと豪語していました。

 ゾッとしました。正直、馬鹿なんじゃないかとも思いました。でも、成績は私よりもぜんぜんいいんですよね。ははあん。用意周到とはまことに恐るべきであると反省したことを覚えています。

 でも、やっぱり私には無理です。本誌読者の多くもそうなんじゃないでしょうか。だってねぇ、正月気分で来年の年賀状を考えるなんて、どう考えても常人技ではありませんもの。そもそも年賀状は、除夜の鐘を聞いた後に書き始めるべきものではないか、などとつい話を逸らしたくもなるのが人情ではないでしょうか。

 しかし、そうは言っても、貰う側からすれば、やっぱり凝りに凝った年賀状が元旦にどっさり届くのがいいですね。もちろん、手書きの挨拶文でね。

 こうした意味でいうなら、何の芸があるわけでもない子供の写真を、何の手書き文を記すわけでもなく、私のような独身者に毎年送りつけてくる輩の気持ちが知れないわけです。もっとも、親心とはそういうものかもしれませんし、こうした年賀状を排すとなると、これまた寂しくなるかもしれませんが、それでもしかし、子供の写真を免罪符のように使うのは如何なものでしょうか。

連載の初回に紹介した写真です。流石に、本職のデザイナーにかかると、一味も二味も違ったものになります。
 身勝手ついでにいうなら、いわゆるプロカメラマンを標榜している人が、こうした普通のポストカードを出すとしたら、やはり見識を疑ってしまうのが人情であろうと思うのです。ですから私は決して、写真付きの年賀状にはしないことにしています。だからといって、立派な年賀状を作った試しはないのですが。

 でも、こうしていろいろ考え出すと年賀状もかなり難しいですね。だから、遅れるのです。一日一日と繰り延ばし、気がついたら大晦日。今年ばかりはそんなことにならないように頑張ろうと思います。そして、送る相手を思い、丁寧な字で挨拶を一言でも書き添えて、気持ちのいい年賀状を認めたいものです。

 しかし、性格が性格ですからね。今年もやっぱり無理なんだろうなぁ。いや、そんなちゃんとしたものでなくても、ありのままの性格がそのまんまに現れているような汚らしい年賀状の方が、私らしいといえばそうに違いないのかもしれません。とかなんとか、もはや諦めぎみではありますが、ともあれ皆さん、良いお年をお迎えください。