昨年末より続いていた仕事が一段落し、やっと気が楽になったと思ったら、勢い余って気楽を通り越していました。ここ数週間、まるで無気力な毎日を送っているのです。学生や会社員なら5月病と診断されるところでしょうが、そもそも曜日も季節もない仕事柄ゆえ、これは病ではありません。年に一二度は多少なりともこういう時期があります。何もやる気にならないのは憂鬱か、それとも自由かと問われて、憂鬱をとればそれは病になり、自由をとればそれは贅沢となります。なぜなら、何もしないで居られること自体が、贅沢の極みの一つだからです。屁理屈かもしれませんが、こうした自由な時間に脳味噌は、いらぬことばかり考えるようです。
駅前写真館を作った当初、私も人並みに毎日店に出て、ちゃんと営業しようかと思った時期があります。その程度までには本気だったというか、やる気があったというか、何をやる気になっていたのか定かではありませんが、多分、他の写真館への対抗意識が正しく働いてのことでしょう。
しかし、よくよく考えて、こうした対抗意識を燃やすと、結局、他の写真館との競争になり、挙げ句はそれらとの区別がつかなくなることに気づきました。それで、ちゃんと営業しないことにしたわけです。しかしこれでは、お客さんが来なくなるのが道理というもの。連載の1回目に、銀行や百貨店や八百屋だって、客の都合に合わせるのが基本だと書きましたが、あの文章はあの流れではいいと思うのですが、やっぱりどこか可笑しいところがあります。だって、銀行や百貨店や八百屋は、いつも決まっている時刻にちゃんと開店しているのが、正しいサービスなんですから。ちゃんと営業しない営業写真館なんてものがあったら、ここに風呂敷を広げて出して頂きたいものです。
ともあれ、仕事がある時にしか出勤しないのですから、次第にお客さんの足は遠のきます。そうなればなったで仕事はますます少なくなるというデフレスパイラルに陥った気配があります。しかし政府、もとい、私は決してそうは考えない。パンフレットも作ったし、他の仕事の折りにはできるだけ営業しているしで、打つべき手は打っているなどと、呑気なことを考えています。そうこうするうちに、この毎月の連載を書かねばならないとかいう外圧もかかる。とまあ、ここまで考えると、ああ、これは私一人のせいじゃない、世間、いや、天下国家の問題なんだ、などと、いつのまにやら責任転嫁をして知らぬ顔。他愛もない、自家撞着というやつです。
いやはや、いつもは暇になりたいと考えているのに、いざ暇になった途端、この体たらくなのですから、情けないことこの上ありません。
しかし、いいですね。若い人は。何でも柔軟に受け入れることができます。彼らを見ていると、自分の頭の固さを痛感してしまいます。
ただ、何といいましょうか、これでいいのだろうかと若干の不安を感じないでもありませんでした。というのも、彼らはデザインとか写真という一種の表現を学んでいるはずなのに、意見を述べるとか、疑問を呈するといった、人としての最も基礎的な表現がなかなかできないようなのです。私自身の学生時代を省みながら、これはどういうことか、と考えました。
結果は、こういうことです。ちょっと恥ずかしいからとか、間違ったら笑われるという思いがあって、それで始めの一瞬だけ、ほんのちょっとだけ我慢するのです。してみると、皆、そうしていることが判る。ああ、これでいいんだ。と、ほんのちょっとの我慢、要するに表現しないという我慢を続けるわけです。しばらくすると、不思議なことに、我慢が慣れ性になってしまって、ちっとも苦ではなくなります。苦というより、どちらかといえば楽なんですね。何も表現しないのが楽。これは確かにそうだと思います。しかし、この楽に慣れきった時に、ふと気づくのです。何も表現しない自分とは、一体何者なのか。
ところが、ここまで来た時には、かなり手遅れなんですね。自分に対して疑問を抱くというのは、この場合、かつて表現したかった自分の心というのを既に見失いかけている証拠ですから。 つまりこれは、在り続けることに対する懐疑ではなくして、無くなることへの不安でしかないのが実体なのです。もしかすると、これは彼らだけではなくて、私たち皆が少しずつ感じている困難なのかもしれません。
いや、本当はそうじゃなくて、そうした表現を可能にする雰囲気を教室内において私自身が作りえない事実こそが問題なのです。要するに、芸がない、ということ。
こうしたわけで、なんでもかんでも、自分の肩の上に載せるようになると、身体が持ちません。持つワケがないのです。
だから、酒に走る。酒の勢いで何をするわけでもなく、ただただ呑む。そんな折りには決まって、こんな一節を見つけたりするのです。
「男子の胸には磊塊(らいくわい)というてからに、女子供には判らん塊りが出来て来よるもんぢや。酒は男児のこの磊塊にそそぐものぢや。---さ、××君、お前ん、大いに呑まんといかんぜよ」(井伏鱒二『取材旅行』)
いけませんねぇ。文脈もへったくれもなしに、こういう文章はいけません。ついつい、度が過ぎてしまう。まだまだ呑み足りないと感じてしまう。 いや、酒のせいにするつもりでははないのです。そうじゃなくて、このもやもやした気分。いっそ病気になるなり、なけなしの財産を投げ打つなりすれば、よほどせいせいするのに---。 ところが、病に臥せったり、無一文になったらなったで、今のこの状態をこそ、羨ましくなりそうで余計に怖いのですね。
ここが、途轍もなくキビシイ。
話が暗くなってきました。この際ですから、もっと暗い話をしましょう。
フリーカメラマンをやっていたある時、こう思ったのでした。自分が撮った写真は雑誌などに掲載され、多くの人が見てくれる。これはこれで喜ばしいことに違いないのだけど、ほとんど全ての写真は、数日か数週間か、あるいは数年かは知らないけれど、その内ゴミになるんだよなぁ、と。 途端に、やる気が失せました。
もっと言えば、駆け出しだった頃。写真は遊び半分ですし、原則として浪費で構わないのでした。これが次第に仕事になってきた時は、もとよりの遊びがお金になるわけですから、嬉しいことこの上ないわけです。しかし仕事ですから、嫌な対象でも撮らなければならない事態が生じてきます。そうはいってもお金になりますから、これは仕事と割り切る。お金になりさえすれば取り合えず我慢できるようになるのです。そうこうする内に、お金にならない写真は撮らないようになり果てる。てな次第で、ここまで来ると、当初、自分が撮りたかった対象、撮る方法、見せたい人をあらかた見失っているのです。ハタと気づいた時には、自分は何をやりたかったのかさえ思い出せなくなっているのでした。
何のことはない、先に述べた学生と同じなんですね。
だからこそ、駅前写真館を始めたのです。写真館の写真なら、雑誌の写真よりは大切にされるはずだ。雑誌なりの撮り方をしなくても、お客さん個人との合意だけで、好きな撮り方ができるだろう。そう考え、考え抜いた一つの答えが、駅前写真館だったのです。
が、そうは簡単に問屋は卸してくれませんでした。と、こういう現実に、ここに来て、やっとちゃんと向かうことができるようになった、ということなのでしょう。
とどの詰まりを言えば、お客さんを踊らせるだけの芸を、今の私は身につけていないという事実に、改めて気づいたわけなのです。
思いは、こうなのです。
結局はゴミとして捨てられる写真でもいいのです。作品だと思ってくれる人は誰一人としていなくてもいいのです。正しくない、間違ったやり方で撮った写真だと罵られても構いはしないのです。ただ、自分の人生という小さな一つの歴史の中で、自分自身で意味を持たせられる写真であるなら、それでいいのです。
しかし、ここまで開き直ると、結局は元の木阿弥で、何でも自分の歴史の内じゃないか、ということになってしまいかねないのですが、ここに一つの冒険のしどころがあるような気がするのです。 何といいましょうか。あと、何年か、あるいは何十年かは判りませんが、そういう地点で振り返った時に、決して回りに流されたわけではない、自分の判断で、自分の意思で撮り続けたという、一つの意思が感じられるような、そんな写真を撮り続けたいのです。
もし、それができたなら、その過程で撮られた写真の数々は、そこに私自身が写っていなくても、他の誰でもない私自身の歴史を彩るアルバムに、誇らしく入れることができるに違いない。そう、思うのです。そして、駅前写真館にいらっしゃるお客さんのアルバムも、できうるなら、こんな夢のようなアルバムを所有して欲しいと願うのです。
クリーニング仕立ての正装でなく、汚れにまみれた仕事着のままでいいではありませんか。もはや一昔前ではないのです。普段着慣れている服の方が、一生に一回着るか着ないかと思われる礼服よりも、より一層、その人を引き立てているのが現状のはずです。馬鹿げた衣装で着飾るのもいいではありませんか。馬鹿をやれるというのは、当人が余程真面目であることを意味していることくらい、現代人なら誰もが承知しているのではなかったでしょうか。
カメラという装置の前で、一踊りしようじゃありませんか。そうして出来た写真を見て、皆で、今、ここに生きていることを笑い飛ばすことができたなら、こんなにいい世の中は他にないような気がします。
しかしこれを達成するには、まずもって、私自身の芸をもっともっと磨かなければならないようです。
一から出直し、というわけですね。
今日は、そのための前祝いとして、一献傾けることに致しましょうよ。ね。
出勤拒否。
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| 写真①「駅前写真館前の雪だるま」 3年前だか、大雪の時に造ったものです。写真⑦の篆刻の鈕に比べて始めて、形を造るには足し算と引き算の二つがあることを知りました。(以下、原版4×5) |
しかし、よくよく考えて、こうした対抗意識を燃やすと、結局、他の写真館との競争になり、挙げ句はそれらとの区別がつかなくなることに気づきました。それで、ちゃんと営業しないことにしたわけです。しかしこれでは、お客さんが来なくなるのが道理というもの。連載の1回目に、銀行や百貨店や八百屋だって、客の都合に合わせるのが基本だと書きましたが、あの文章はあの流れではいいと思うのですが、やっぱりどこか可笑しいところがあります。だって、銀行や百貨店や八百屋は、いつも決まっている時刻にちゃんと開店しているのが、正しいサービスなんですから。ちゃんと営業しない営業写真館なんてものがあったら、ここに風呂敷を広げて出して頂きたいものです。
ともあれ、仕事がある時にしか出勤しないのですから、次第にお客さんの足は遠のきます。そうなればなったで仕事はますます少なくなるというデフレスパイラルに陥った気配があります。しかし政府、もとい、私は決してそうは考えない。パンフレットも作ったし、他の仕事の折りにはできるだけ営業しているしで、打つべき手は打っているなどと、呑気なことを考えています。そうこうするうちに、この毎月の連載を書かねばならないとかいう外圧もかかる。とまあ、ここまで考えると、ああ、これは私一人のせいじゃない、世間、いや、天下国家の問題なんだ、などと、いつのまにやら責任転嫁をして知らぬ顔。他愛もない、自家撞着というやつです。
いやはや、いつもは暇になりたいと考えているのに、いざ暇になった途端、この体たらくなのですから、情けないことこの上ありません。
先生と呼ばれるほどの・・・。
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| 写真②③「代官山アパート」 現在、高層ビルが建築されつつある、かつての代官山アパート。取り壊される直前は、今時のお洒落な若人も集う、いい場所でした。高層ビルが建った後には、何が生まれるのでしょうか。知人のデザイナーの勧めにより、仕事として撮影したものの残りです。 |
写真館の仕事はさっぱりなのですが、桑沢デザイン研究所の非常勤講師を頼まれました。石元泰博さんや大辻清司さんという大御所も卒業している学校ですので、実に恐れ多い話ですが、たった3回こっきりの講義です。それでも、一日3時間というのは、かなり身に応えました。途中に10分の休憩が入るとはいえ、ほとんど立ちっ放し、しゃべりっ放しですから、普段が普段の自堕落な生活をしている身体には尋常ではありません。講義が終わると、最前列の学生に「先生、お疲れさまでした」などと、ねぎらいの言葉をかけられたりするのが、かっこ悪いというか何というか。
しかし、いいですね。若い人は。何でも柔軟に受け入れることができます。彼らを見ていると、自分の頭の固さを痛感してしまいます。
ただ、何といいましょうか、これでいいのだろうかと若干の不安を感じないでもありませんでした。というのも、彼らはデザインとか写真という一種の表現を学んでいるはずなのに、意見を述べるとか、疑問を呈するといった、人としての最も基礎的な表現がなかなかできないようなのです。私自身の学生時代を省みながら、これはどういうことか、と考えました。
結果は、こういうことです。ちょっと恥ずかしいからとか、間違ったら笑われるという思いがあって、それで始めの一瞬だけ、ほんのちょっとだけ我慢するのです。してみると、皆、そうしていることが判る。ああ、これでいいんだ。と、ほんのちょっとの我慢、要するに表現しないという我慢を続けるわけです。しばらくすると、不思議なことに、我慢が慣れ性になってしまって、ちっとも苦ではなくなります。苦というより、どちらかといえば楽なんですね。何も表現しないのが楽。これは確かにそうだと思います。しかし、この楽に慣れきった時に、ふと気づくのです。何も表現しない自分とは、一体何者なのか。
ところが、ここまで来た時には、かなり手遅れなんですね。自分に対して疑問を抱くというのは、この場合、かつて表現したかった自分の心というのを既に見失いかけている証拠ですから。 つまりこれは、在り続けることに対する懐疑ではなくして、無くなることへの不安でしかないのが実体なのです。もしかすると、これは彼らだけではなくて、私たち皆が少しずつ感じている困難なのかもしれません。
いや、本当はそうじゃなくて、そうした表現を可能にする雰囲気を教室内において私自身が作りえない事実こそが問題なのです。要するに、芸がない、ということ。
無気力のワケ。
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| 写真④⑤「秋葉原」 コンピュータ関係の雑誌を作っている会社の依頼で撮影したものです。ディープな秋葉原を、という要求にどこまで応えられたかわかりませんが、自分の「方法」を仕事として展開できた、いい仕事でした。と、今にして思うのですが、やっている時はよほど不安の方が大きかったことを覚えています。。 |
こうしたわけで、なんでもかんでも、自分の肩の上に載せるようになると、身体が持ちません。持つワケがないのです。
だから、酒に走る。酒の勢いで何をするわけでもなく、ただただ呑む。そんな折りには決まって、こんな一節を見つけたりするのです。
「男子の胸には磊塊(らいくわい)というてからに、女子供には判らん塊りが出来て来よるもんぢや。酒は男児のこの磊塊にそそぐものぢや。---さ、××君、お前ん、大いに呑まんといかんぜよ」(井伏鱒二『取材旅行』)
いけませんねぇ。文脈もへったくれもなしに、こういう文章はいけません。ついつい、度が過ぎてしまう。まだまだ呑み足りないと感じてしまう。 いや、酒のせいにするつもりでははないのです。そうじゃなくて、このもやもやした気分。いっそ病気になるなり、なけなしの財産を投げ打つなりすれば、よほどせいせいするのに---。 ところが、病に臥せったり、無一文になったらなったで、今のこの状態をこそ、羨ましくなりそうで余計に怖いのですね。
ここが、途轍もなくキビシイ。
話が暗くなってきました。この際ですから、もっと暗い話をしましょう。
フリーカメラマンをやっていたある時、こう思ったのでした。自分が撮った写真は雑誌などに掲載され、多くの人が見てくれる。これはこれで喜ばしいことに違いないのだけど、ほとんど全ての写真は、数日か数週間か、あるいは数年かは知らないけれど、その内ゴミになるんだよなぁ、と。 途端に、やる気が失せました。
もっと言えば、駆け出しだった頃。写真は遊び半分ですし、原則として浪費で構わないのでした。これが次第に仕事になってきた時は、もとよりの遊びがお金になるわけですから、嬉しいことこの上ないわけです。しかし仕事ですから、嫌な対象でも撮らなければならない事態が生じてきます。そうはいってもお金になりますから、これは仕事と割り切る。お金になりさえすれば取り合えず我慢できるようになるのです。そうこうする内に、お金にならない写真は撮らないようになり果てる。てな次第で、ここまで来ると、当初、自分が撮りたかった対象、撮る方法、見せたい人をあらかた見失っているのです。ハタと気づいた時には、自分は何をやりたかったのかさえ思い出せなくなっているのでした。
何のことはない、先に述べた学生と同じなんですね。
だからこそ、駅前写真館を始めたのです。写真館の写真なら、雑誌の写真よりは大切にされるはずだ。雑誌なりの撮り方をしなくても、お客さん個人との合意だけで、好きな撮り方ができるだろう。そう考え、考え抜いた一つの答えが、駅前写真館だったのです。
が、そうは簡単に問屋は卸してくれませんでした。と、こういう現実に、ここに来て、やっとちゃんと向かうことができるようになった、ということなのでしょう。
とどの詰まりを言えば、お客さんを踊らせるだけの芸を、今の私は身につけていないという事実に、改めて気づいたわけなのです。
夢のアルバム。
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| 写真⑥「花輪」 知人の翻訳家の紹介で、外務省が出版している外国に向けた日本紹介用の冊子用に撮影したものの残りです。よく言われることですが、流石の外務省は、普通の日本人的感覚をお持ちでないような気配を感じたことを記憶しています。) |
結局はゴミとして捨てられる写真でもいいのです。作品だと思ってくれる人は誰一人としていなくてもいいのです。正しくない、間違ったやり方で撮った写真だと罵られても構いはしないのです。ただ、自分の人生という小さな一つの歴史の中で、自分自身で意味を持たせられる写真であるなら、それでいいのです。
しかし、ここまで開き直ると、結局は元の木阿弥で、何でも自分の歴史の内じゃないか、ということになってしまいかねないのですが、ここに一つの冒険のしどころがあるような気がするのです。 何といいましょうか。あと、何年か、あるいは何十年かは判りませんが、そういう地点で振り返った時に、決して回りに流されたわけではない、自分の判断で、自分の意思で撮り続けたという、一つの意思が感じられるような、そんな写真を撮り続けたいのです。
もし、それができたなら、その過程で撮られた写真の数々は、そこに私自身が写っていなくても、他の誰でもない私自身の歴史を彩るアルバムに、誇らしく入れることができるに違いない。そう、思うのです。そして、駅前写真館にいらっしゃるお客さんのアルバムも、できうるなら、こんな夢のようなアルバムを所有して欲しいと願うのです。
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| 写真⑦「趣味の篆刻」 石にハンコを彫るのが篆刻(てんこく)。ハンコの上に彫る造形を鈕(ちゅう)と言います。知らない人が見ると、凄いと思うでしょうが、実際にやってみると、いたって簡単。要は、石は固い、という既成概念を捨てることだけです。) |
カメラという装置の前で、一踊りしようじゃありませんか。そうして出来た写真を見て、皆で、今、ここに生きていることを笑い飛ばすことができたなら、こんなにいい世の中は他にないような気がします。
しかしこれを達成するには、まずもって、私自身の芸をもっともっと磨かなければならないようです。
一から出直し、というわけですね。
今日は、そのための前祝いとして、一献傾けることに致しましょうよ。ね。










